自主ゼミの意義・有用性とは? 〜自主ゼミを通して論文力を養おう〜
2025年9月13日
勉強法
1 導入
ロースクールでの勉強は、授業を受けて知識を得るだけでは十分ではないと少なくとも私は考えます。司法試験では、知識を答案、すなわち、文章という形で整理し、採点者に伝わるように表現する力が求められます。そのため、以下で記述するように学生同士で行う自主ゼミは非常に大きな意味を持っています。実際に私は、大学を3年で卒業し、在学中で司法試験を受験し、合格しましたが、このように勉強時間が少ない中で合格までたどり着けたのは正しく自主ゼミのおかげであると思っています。以下では、自主ゼミの意義を「他人の答案を読むこと」「自分の答案を添削してもらうこと」「文章の伝わりにくさを克服すること」という三つの観点から記述していきたいと思います。
2 他人の答案を読むこと
まず、当然のことではありますが、自主ゼミに参加すると、自分以外の人の答案を読むことができます。法律の問題には一つの絶対的な答えがあるわけではなく、複数の切り口や論じ方が存在し、時には結論が異なっていてもその理由付け等によっては同じような点数がつくような問題も存在します。そのような性質の試験に向けて勉強する上で、自分一人で答案を書いていると、どうしても考え方が固定化してしまい、多角的な視点から問題を検討することができなくなってしまいます。しかし、他人の答案を読むことによって、自分では気づくことができなかった問題点に気づいたり、友人が学説の立場を使用している場合などには、判例とは異なる違った知識を得たりすることができます。ここで、判例さえ知っていれば他人が使用している学説を知る必要は無いと考えるかもしれません。しかし、近年では、学説が問われる問題や学説を知っていた方が解きやすい問題が頻出されるため、このような観点からも自主ゼミは非常に意義高いものであるといえます。
3 添削をしてもらうことで気づけること
次に、自分の答案を友人に読んでもらい、添削してもらうことの意義についてですが、司法試験では論文という文章で解答するという性質上。自分では筋道立てて書いたつもりでも、実際には論理が飛躍していたり、前提の説明を省略していたりして、読み手には伝わらないことが多くあります。知識については良く勉強しているのに中々点数が伸びないという人の中には、知識が間違っている人と同等、若しくは、それ以上に、知識を採点者に伝わるように表現することができていないという原因で点数が伸びない人が多いと感じます。そこで、他人から添削を受けることで、自分では気づかなかった欠点(知識の誤りや他の視点、日本語の組み立てなど)を指摘してもらい、これによって、自己の答案を客観的に評価することが可能となります。これは独学では得られない重要な経験であり、答案の完成度を高めるうえで欠かせないことだと思います。以上のように、添削をしてもらうというのも、自主ゼミを組む大きな意義であるといえます。
4 文章の伝わりにくさを克服すること
これは上述したことと被る部分もありますが、法律の答案は論文形式で記述されるため、「理解していること」と「伝わること」との間にギャップがあります。自分の頭の中で論理が整理されていても、それを十分に言語化できなければ、採点者には伝わらず、採点者に意味が伝わらなければ、もちろん点数も伸びません。司法試験では、理解しているだけでは評価されず、きちんと「文章に書いて採点者に伝える」という能力が求められます。そして、このギャップを意識するきっかけを与えてくれ、それを改善する機会をくれるのも自主ゼミです。自分の答案を友人に読んでもらうと、「ここは意味がわかりにくい」「この論点は問題提起が希薄で突然出てきたように感じる」といったようなフィードバックを受けることができます。それは、自分が理解しているつもりでも、文章への表現の仕方に問題があることを示しています。このように、他人に指摘されて初めて「なぜ伝わらなかったのか」「どうすればより明快に表現できるのか」を考えるようになり、結果として表現力が磨かれていくことになります。これは司法試験対策に直結するだけでなく、将来、法曹として裁判官や依頼者に自分の主張を的確に伝えるうえでも大きな財産となるため、試験対策としてももちろん非常に有意義であるし、それを超えても意義を持つこととなります。
5 その他意義
ここまでは、専ら知識の確認や表現力という答案に直結する事項から記述してきましたが、最後に当項目でその他の意義についても軽く私の意見として記述したいと思います。繰り返しになりますが、自主ゼミの意義は単なる学習効果にとどまらないと考えています。ロースクールにおける自主ゼミは、仲間同士で支え合う学習共同体を形成するという意味でも意義を有します。皆さんもどこかの情報を見て知っていたり、現在進行形で経験していたりしていると思いますが、司法試験は長期戦であり、勉強をしている期間は孤独になりやすい環境に置かれることになります。その中で、仲間と答案を見せ合い、切磋琢磨し、励まし合える環境は精神的な支えにもなります。実際にロースクールで2年間を過ごして、精神的に参ってしまう人を何人も目にしてきました。そのような人の中でも、自主ゼミを組んだり、また、組んでいないとしても周りに勉強の議論をするような仲間がいたりする人は、何とか友人に支えてもらうことで司法試験が終わるまで走り抜けていました。一方で、ロースクールを辞めてしまったり、司法試験から撤退したりした人もおり、そのような人の多くは自主ゼミを組んでおらず、一人で勉強をしている人でした。このように、自主ゼミは勉強を教えあうだけでなく、大きな精神的支柱としての意義も持つことを渡しは確信して皆さんに伝えることができます。また、ゼミを通じて他人の意見を尊重しながら議論する姿勢を学ぶことができることも大きな意義となります。法曹の仕事は常に他人との議論や交渉を伴うため、この経験は実務に直結すると信じています。
6 まとめ
長くなりましたが、まとめると自主ゼミの意義としては①他人の答案を読むことで、自分が知らない知識や問題の解き方・論理構成を学べること②自己の答案を添削してもらうことで、自分の知識の誤りや日本語の誤り、論理飛躍等に気づくことができること③論文試験という性質上生じる採点者に伝える能力を磨くことができること④その他、精神的に参った時などに気軽に頼れる仲間ができること等がります。ロースクール在学中の皆さん、これからロースクールに進学する皆さんも、勉強方法の1つとして自主ゼミを組むことを考えてみてください。最後になりますが、司法試験に合格するには非常に辛い勉強期間を過ごさなければなりませんが、時には友人と遊んだり、お酒を飲んだりし、ストレスを発散しながら精神面には気を付けて頑張ってください。